「日本ツアーについて(補足)」(中編)

(前編からの続き)

中でもシカゴに単身で在住した3年間に、当地のChi-Town Hustlers の正式メンバーとして、キングストン・マインズ、ブルー・シカゴ、B.L.U.E.S. などの有名ブルースクラブにレギュラー出演した。さらには、それと並行して行なった自分のリーダーバンドの活動も合わせて、シカゴでは計200本のライブをこなした。

 

この時点で自分のパフォーマンスは、ボーカルも含めてピークに達したと思う。ブルースの本場シカゴで得た自信は大きい。それは、理由は簡単だ。シカゴの街は世界中から訪れるビジターは快く迎えてくれる。だが、一旦こちらがコンペティターの立場に立つと、ミュージシャンのサークルに割り込むのは極めて難しいからだ。

 

他はシカゴ時代と前後して、カリフォルニア州はサンフランシスコの南ベイエリアを拠点に自己名義で行なったショーの数々だ。

 

それは、敬愛の念を込めて黒人という言葉を敢えて使うと、サンホゼ市近郊の黒人ブルースクラブで、日本人の僕がハウスバンドを毎週リードしたギグが大部分だった。特に日本人プレーヤーとして、おそらくかなりユニークな点は、フロントマンとしてリードボーカルも兼ねたことにある。

 

その店に本格的なブルースを聴きに来たお客さんの中には、アジア人がステージを仕切っているのを見て、少なからず違和感を持った人もいただろう。が、何とその仕事は合わせて5年以上続いた。

(続く)

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