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「日米でプレーするブルースの違いについて」あとがき 

昨日まで「日米でプレーするブルースの違いについて」というテーマで10回連載しました。これは「あとがき」です。

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言葉や文化の違い、人種の壁、外国人が合法的に労働する難しさなど、日本のミュージシャンがアメリカで活動する際の障壁について書いた。本人の才能や努力だけでは乗り越えられない壁があるのは確かだ。

 

しかし音楽に限らず、全米いや世界に通用する実績を残した日本人に僕は深い感銘を受ける。例えばスポーツなら、野球のイチロー選手や大谷選手、ゴルフの松山選手や渋野選手などなど。

 

中でも、もう30年ほど前になるが、日本人として初めて大リーグで活躍した野茂投手に僕は最も勇気づけられた。それは、「初めて何かやった」ことに大いに意義があるからだ。1995年に僕はちょうどロサンゼルスに住んでいて、ドジャース・スタジアムで強打者をバッタバッタと三振に討ち取るその勇姿を見た感動は、今も忘れられない。

 

僕がシカゴに住んでいた2019年にも、エンジェルス 対 ホワイトソックスの試合で大谷選手が4番指名打者(写真)で登場し、ホームランを打つのを幸運にも目撃した。あれから数年経って、大谷選手が大リーグで2度目のMVP 、それにホームラン王にも輝くとは脅威!

 

いつの日かブルースの世界にも、ワールドクラスのブルースマンやウーマンが日本から出現するかも知れない。

 

(終わり)

日米でプレーするブルースの違いについて (番外編) 

アメリカで外国人が働くには、移民局からの労働許可が要る。無期限で自由に仕事をするには永住権 (いわゆるグリーンカードが必要だ。

 

アメリカ人と結婚するケースは別として、永住権の許可が降りるかどうかの基準は、アメリカ市民を差し置いてその外国人に労働が許されるだけの技能や知識があるかどうかにある。つまりその移民を受け入れることによって、どれだけのメリットがアメリカの国にあるのかを移民局が審査する。アメリカンドリームを胸に抱いて来る外国人が誰しも経験する関所だ。

 

僕はもともと、音楽をやるためにアメリカに来たのではなかった。最初は留学生ビザでアメリカに入国したのだが、そのビザの期限が切れる直前に、まさに奇跡的に会社員の仕事を見つけ、そのサポートで永住権を取得した。一生のうちで「神風が吹いた」と思ったのはその時以外には無い。それは永住権の取得は、自分の努力だけではどうにもならない一番困難な壁だったからだ。

 

それから20年ほどは、まっとうに昼間の仕事をしながら細々と音楽を続けた。しかし今から10年前に、このままパートタイムで音楽を続けていても結局はパートタイムな結果しか出ないのではとハタと思い立ち、会社勤めを辞めてフルタイムでブルースを演るという大きなギャンブルに出たのだ。

 

自由人となってこの10年、アメリカでサバイバルした自信は大きい。思えば何の保証も無しにアメリカに来て、一人で試行錯誤を重ねながらここまで来た。今では自分のやりたい仕事だけをやる、フリーランスのミュージシャンである。今後これまで培って来たものを日本にお返し出来ればこんな嬉しいことはない。

 

それにつけても、もし仮に時計の針を自分が日本を飛び出した1980年代に巻き戻せたとしても、僕はやっぱりまたアメリカに来る決心をするだろう。こんなに刺激と変化に満ちた人生は無かった。

 

今でも時々ふと思うのは、もし最初からシカゴに住んでいたら今はどうなっていただろうかと。音楽的にはおそらくシカゴでもっと広く深くブルースの根を生やしていたかも知れない。が、逆に今日までこの国でサバイバルできたかどうかは疑問だ。 僕には、大きく遠回りしたことによって、結局は目的地に無事に到達できたような気がしてならない。

 

本題のシリーズはこれで終わりです。ご清読ありがとうございました。

日米でプレーするブルースの違いについて (その9) 

日米のライブの違いを一言で言うと、アメリカでは自発性や意外性を含めたグルーヴ重視、日本では聴衆を唸らせる完璧性を期待されていることにある。

 

アメリカのナイトクラブはたいていステージの前にダンスフロアーがあり、お客はお酒も進んで気分が良くなってくると席を立って踊り始める。多くの人は聴くだけでなく、グッドタイムを体でエンジョイするために音楽を聴きに来るのだ。

 

日本はコンサート形式で、開演から閉演まで2時間ぐらいの間は、聴衆は着席したままちゃんと音楽に耳を傾ける。ステージから見ていて、たまにお客さんの指先がテーブルを優しく叩いていたり、その膝頭が揺らいでいたりすると、「おーっ、今日は皆んなノッてるなーっ」と声を掛けたくなる。

 

それに日本では音楽を深く聴き込んでいる方が多い。聴衆の中には評論家顔負けにそのジャンルに精通している人も居るから、演奏する側も気が抜けない。これも日本ツアーに出るときは、アメリカを出発する前に僕が用意周到に準備する理由のひとつだ。

 

それにつけてもこれまでの人生を振り返ると、僕はいつも新しい環境での刺激を求めて、あたかも川の逆流をずっと逆上りして来たかのように思う。大阪で高校時代に黒人ブルースにハマって以来、40年以上もの間、僕は悪魔に魂を売り続けて来たのだろうか?(それは、ちょっとカッコ付け過ぎや。)

(続く)

日米でプレーするブルースの違いについて (その8) 

日本でやるライブはコンサート形式で、お客さんは開演時間の夜7時前には席に着き、2時間のショーを観た後に終電には間に合うように家路に付く。

アメリカは車社会で、バーやレストランではウォーク・インとウォーク・アウトが自由だ。そもそも演奏がたいてい3時間 (3セット) かそれ以上と長い。

 

シカゴのブルースクラブでは、ライブ開演も夜の9時や10時からで、その仕事が終わると午前1時や2時になるのが普通だった。僕はシカゴのダウンタウンにあるブルー・シカゴでライブを終えたあと、その帰りに朝の4時までやっているノースサイドのキングストン・マインズによく立ち寄った。ネットワークを広げるため、そこで知り合いのバンドに何と午前3時ごろからよく飛び入りで演奏させて貰ったものだ。

 

そういうコマメな努力をコツコツと続けているうちにやがてそれが実を結び、キングストン・マインズやそこから通りを隔てて斜め向かいのB.L.U.E.S.でもレギュラー出演するチャンスにつながった。

 

夜もふけた午前4時過ぎ、帰り道にスーパーで食材を買って朝メシを作ってから寝床に就くと、夏場ならもう空が白んでいた。昼と夜が完全にひっくり返った夜勤生活が数年続いたのも、今となっては懐かしい思い出だ。

(続く)

日米でプレーするブルースの違いについて (その7) 

バンドを運営・管理して行くには、強いリーダーシップが不可欠である。バンドの演奏はもちろんチームワークであるが、メンバー全員の意見をいちいち聞いていたのでは、遅かれ早かれそのバンドは行き詰まるだろう。ただでさえアーチストは自我が強いのに、それが何人か寄ったグループに民主主義は有り得ない。

 

僕は仕事のブッキングやメンバーの調達、そしてライブの宣伝などを全て自分一人でやる。ツアーに行くときは、飛行機や交通手段、宿泊の手配などもだ。ライブ会場や共演するメンバーとの交信も含めると、音楽そのものよりもそれ以外のことに膨大な時間が取られる。さながら小規模の個人事業主のようなものだ。

 

北カリフォルニアはベイエリアの黒人ブルースクラブで僕が毎週1回、計5年以上にわたりハウスバンドを率いていたとき、いみじくもそのメンバーの一人がこう言っていた。「Every good band has a dictator (良いバンドには必ず独裁者が居る)」と。言い得て妙だと思う。

 

既に書いたように、僕にとってライブの仕事をエンジョイ出来るかどうかは、バンドとしての演奏の質が高いことがまず必要条件だ。一流のプレーヤーは別として、アメリカで出会った自称「ミュージシャン」の多くは、そこをはき違えている人が多かった。彼らはたいてい、楽をして小銭を稼いでハイ(high)になろうとするのが基本姿勢であった。僕がライブ中に自分達の出す音に陶酔して自然に気分が高揚するようなことは、年に一度有るか無いかぐらいで、むしろ無いほうが多い。

 

ありがたいことに日本ツアーでは、メンバー個人個人のエゴが表面に出て来ることは、幸いこれまであまり無かった。これは和を重んじる国民性の違いなのだろう。

 

それに僕は人前で演奏するときはどんな状況であれ、必ずベストを尽くすように心掛けている。それは、良い噂というものは世間では中々すぐには広まらないが、悪い噂は電光石火のごとく飛び散るからだ。何処で誰が見ているか分からないから気を付けないと。

(続く)

日米でプレーするブルースの違いについて (その6) 

日本とアメリカではそのミュージシャンシップは大きく異なる。僕はこの10年間に自分のリーダーバンドで仕事をしながら、パンデミックの間を除いて日本にも毎年ツアーに行って来た。

 

アメリカでは、コストパフォーマンスがまず先に来る。曲リストを前もって渡しておいても、メンバー全員が準備を家で充分やって来るとは限らない。要は、受け取るペイに対して、掛ける時間と手間の度合いが決まるのだ。特に小さいバーやレストランでやるような小規模な仕事はなおさらだ。

 

カリフォルニア州サンホゼ市で演奏していた僕のバンドは、レギュラーの仕事はいつもリハーサル無しで本番だ。曲の打ち合わせは全てメールで行う。サポートプレーヤーにとっては、どうせ安いギャラなら演奏はただ楽しんで終わればそれで良いのだろう。曲をスタートしてから、他のメンバーがその曲の構成を知らずに僕が失望したことは、これまで数え切れない。彼らには長期的な視野などあまりない。例えば週一で1年に52回続けていれば結構な実入りになるのに、全く行動が刹那(せつな)的である。

 

一方日本のミュージシャンは、いったん仕事を引き受けると準備をして来てくれることがまず期待できる。だからライブを終えた後の自分の満足度は、日本での方が往々にして高い。概して日本とアメリカでは仕事に対する倫理観が大きく異なるようだ。日米に関わらず、たとえその場のセッション的な演奏であっても、メンバー全員の息が合えば質の高い演奏をするのは全く可能である。それができてこそ、僕の気分は自然にハイになるのだ。

(続く)

日米でプレーするブルースの違いについて(その5) 

僕は大学は工学部出身で、それまで宗教は非科学的なものとばかり敬遠していた。が先日この題のシリーズ(その2)に書いたように、アメリカの黒人教会での礼拝とゴスペル音楽を経験して以来、僕は人々が信仰で救われる利点を少なくとも否定しなくなった。

 

それどころか、そこで非常にインスパイアされて自分もこれからブルースを歌って行こうと決めたものだ。アメリカで英語で歌うなどとはそれまで考えたことも無かったのだが。日本のブルースとの違いは、そのとき体感したこのスピリチュアリティなのだと納得したのだ。僕が礼拝に通っていたその教会のバンドは、その時はオルガン、ベースとドラムだけで、タイミング良くギターで彼らの演奏に加われたのも幸運だった。まさに自分にとって奇しくも“Right place at the right time”だった。

 

その後、僕は今住む北カリフォルニアに引っ越したが、最近また日曜日の朝に近所の教会の礼拝に出るようになった。それは、信仰心からというよりも、自分の演りたい音楽のルーツを探るために、聖書に何が書いてあるのかを理解する目的でだ。敬虔な信者には僕の動機はおそらく不純に映るかもしれないが。

 

思えば僕が30年以上も前にアメリカに移住したときは、黒人社会とはどんなものかほとんど予備知識が無かった。子供の頃からテレビで見た黒人とは、オリンピックの陸上競技かボクシングの選手、それと小学校の頃に見たプロレスのボボ・ブラジル選手ぐらいか。それにその後、音楽で聴きなじんだミュージシャン達だ。思えば長い道のりをここまで来たものだが、これからもその道はまだ続く。

(続く)

日米でプレーするブルースの違いについて (その4) 

これは数年前までシカゴにしばらく住んでいた時の経験だが、日本からシカゴに憧れて当地のブルースクラブのジャムセッションに参加しに来る若い人達と何人か出会った。

 

シカゴでは、ビジターとしてお金を落としてくれる外国からの観光客は歓迎される。だから英語に少々慣れていなくても「本場を体験できた」、「楽しかった。また来よう。」と良い思い出を作ることは、ブルース人口を世界に広めるのに非常に意義のあることだ。

 

が一旦、当地のミュージシャンの競争の中に割り込んで、しかもフロントマンとして仕事を取っていこうとすると話は全く別だ。僕はシカゴに住んだ3年ほどの間を通して、当地で自分のリーダーバンドで何度もライブを行なったが、老舗ブルースクラブの壁は厚い。その壁を破るには、まだまだ気の遠くなるような時間と努力が要るように感じた。

 

そのとき自身のバンドと並行して、幸いサイドマンとして長期のポジションも見つけた。バディ・ガイ氏の元ベーシストのJW Williams 氏が率いるChi-Town Hustlersにリードギタリストとして雇われたのだ。そしてその2年間に、シカゴ市街の有名クラブで毎月10本ほどレギュラー出演するという貴重な経験をした。Williams 氏は、ステージでセットごとに何曲か僕にも歌う機会を与えてくれた。

 

その時点で自分の長年の夢は叶ったのだが。

(続く)

日米でプレーするブルースの違いについて (その3) 

アメリカはその歴史上、人種差別が根強く残る国である。マイノリティーのアジア人が演るブルースを聴いてもらうのには、高い演奏力と歌唱力が求められる。

 

これは過去に実際に体験したことだが、僕がギターだけ弾いてるうちは良いが、マイクの前に立って歌い始めると、聴衆の何人かが曲の途中でスッと立ち上がり店を出て行ったことが何回かある。

 

かと思うと一方では、セットの合間の休憩時間に中年のアメリカ人女性から,「あなたの歌声は素晴らしい」と言って両手で僕の手を包み込むように握手を求められたこともある。だから、先に書いた気分の悪い経験は自分の歌唱力とはあまり関係が無いようだ。

 

その時僕はアメリカの暗い歴史を肌で感じたものだ。ある一握りの人達に取っては、「アジア人の演るブルースなんぞ聴いてられるかっ。」ということだろう。「音楽の世界には国境無し(ボーダーレス)。」というのは、確かにある一面はとらえているだろう。が、それは夢の理想であり、ブルースの世界は「ボーダーフル」である。

 

だからこそ今でも僕は、人一倍、いや十倍は練習するのだ。

(続く)

日米でプレーするブルースの違いについて (その2) 

僕がここで「黒人」という言葉を使うのは、それは差別用語としてではなく、日本でまだ一般的に使われている総称であり他意は有りません。ちなみに今月の2月はアメリカでは、「Black History Month」と呼ばれアフリカン・アメリカンの歴史を祝う月となっています。

 

さて、ジャズ、ブルース、ソウル及びR&B音楽の根底にはゴスペルがある。つまりアメリカの歴史の中で、黒人が苦しみの中で神に救いを求める信仰心から来た音楽だ。日本で日本人が演奏するブルースを聴いて、そのバックに宗教を感じることはまず無いと思う。

 

例えばブルースの歌詞の中でよくある「Oh Lord」とか「Have mercy」が出て来ても、僕にはその意味が長い間のみ込めなかった。

 

少し時間を逆上ぼると、僕は1990年代半ばに2年ほどロサンゼルスに住んでいたが、その頃は黒人のR&Bバンドでギターを弾いていた。それは自分の音楽の幅を広げるキッカケになった貴重な経験だった。

 

それまで僕はずっと、主に3コード12小節のシカゴ・ブルースに深くハマっていた。ソウルといえば有名どころしか知らなかった。が、それを機に初期のソウル音楽をもっと広く聴き始めた。サザン・ソウルやファンクにも遅まきながら入り始めたのはその頃だった。

 

女性シンガーではアン・ピーブルズが好きだった。彼女の歌い方は肺活量の大きさではなく、歌の巧さで人の心を掴むタイプのソウルシンガーだったからだ。留学生として僕がその以前に、ミネソタ州はミネアポリスに住んでいた時に、アン・ピーブルズがメンフィスからあのハイ・リズムセクションを率いてツアーに来ると言うので、その日をワクワク楽しみに待っていたことがある。しかし結局、彼女は体調が優れずに当日ドタキャンになってしまったのが今でも心残りだ。

 

そうしてロサンゼルスに住んでいる間にひょんな事から、僕が当時メンバーであったR&Bバンドの知り合いの黒人女性に連れられて、毎週日曜朝に正装して近くの黒人バプティスト教会に通うようになった。

 

やがてその教会の20人ぐらいのゴスペル合唱団(クワイア)のバックで、毎日曜日にギターを弾くというこれも貴重な体験をさせて頂いた。全員黒人のそのクワイアは、男女共に揃いの黒く長いガウンを着ていてそのステージは壮観だ。

 

その教会では特に夏場は熱気と共に、牧師の説教も盛り上がって来る。すると、礼拝者の中から何人かの女性が両手を宙に挙げて天井を仰ぎながら、「Thank You, Lord. Thank You, Lord.」と唱えつつ失神しそうになるシーンを何度となく見た。

 

我々バンド側は牧師の口調に合わせてさらに、演奏に強弱を付けて信徒を煽(あお)るのだ。その時の牧師の言葉を思い出すが、「頭が痛い時は医者に行け。心が痛い時は、教会に行け。」と言うようなことだった。その時僕には、マディ・ウォーターズの歌にある「肉が食いたけりゃ市場へ行け、魚は海へ、カネが要るなら銀行へ、そして愛して欲しけりゃ俺の家へ来い。(Don’t Go No Further)」の歌詞が浮かんでいた。

(続く)