シカゴの思い出(そのX)

2017年から約3年にわたり僕がシカゴに住んでいたとき、当初は毎晩のように当地のブルース・ジャムセッションや、ナイトクラブに出演しているバンドに飛び入りで演奏させてもらっていた。多い時には一晩に23軒ハシゴしたものだ。

 

その目的は二つあり、まず第一に露出することで既存のバンドのメンバーとして雇ってもらうこと。それに、自分のライブをブッキングした際に、バックのサポートをして貰えるミュージシャンとのコネを作ることだった。

 

ある夜、老舗クラブのB.L.U.E.S. on Halstedでジャムセッションに加わっていたとき、ステージから見て長細い店の後ろの方にある入り口から、ルリー・ベル氏が入ってくるのが目に入った。

 

僕はその時、これはシメタッと思って、すかさずバディ・ガイ作のA Man And The Blues というスローブルース曲のイントロを弾き始めた。ルリー・ベルが原曲をマイナー・キーに替えているバージョンを僕は知っていた。その曲を終えて、初めて会ったベル氏のところに行って自己紹介をすると彼は、「今の君のプレーはなかなか良かった(You sounded good.)」とお世辞を言ってくれた。

 

そしてその次の週に、ベル氏がローザズに出演していたので僕はそれを観に行った。すると彼は客席のテーブルに居た僕を目ざとく見つけて、曲の合間に「私の友人が今、店に来てくれているんだ (A friend of mine is in the house.)」と言って、何とステージに僕を呼んで数曲一緒に演奏させてくれたのだ。

 

シカゴの街の凄さは、それまでレコードでしか知らなかった有名プレーヤーとの距離が一瞬にして縮まるところにある。

 

こういったマメな努力を僕が半年ほど重ねているうちに、キングストン・マインズにてある真夜中に、元バディガイ・バンドのベーシストであったJ.W. ウィリアムズ氏の目に留まった。そうして、ようやく当地でよく知られたJW Williams & Chi-Town Hustlers にレギュラーメンバーとして雇われると言う、願っても無い幸運に恵まれた。その仕事は、僕が元来たカリフォルニアの家に戻るまで丸2年続いた。

 

シカゴの街は世界中から訪れるビジターを大いに歓迎してくれる懐(ふところ)の深さがある。だが、コンペチターの立場で、限られた数の仕事を競争の中で取っていくには、余程の覚悟が無いとサバイバルするのは困難だろう。

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