日米でプレーするブルースの違いについて (番外編)

アメリカで外国人が働くには、移民局からの労働許可が要る。無期限で自由に仕事をするには永住権 (いわゆるグリーンカードが必要だ。

 

アメリカ人と結婚するケースは別として、永住権の許可が降りるかどうかの基準は、アメリカ市民を差し置いてその外国人に労働が許されるだけの技能や知識があるかどうかにある。つまりその移民を受け入れることによって、どれだけのメリットがアメリカの国にあるのかを移民局が審査する。アメリカンドリームを胸に抱いて来る外国人が誰しも経験する関所だ。

 

僕はもともと、音楽をやるためにアメリカに来たのではなかった。最初は留学生ビザでアメリカに入国したのだが、そのビザの期限が切れる直前に、まさに奇跡的に会社員の仕事を見つけ、そのサポートで永住権を取得した。一生のうちで「神風が吹いた」と思ったのはその時以外には無い。それは永住権の取得は、自分の努力だけではどうにもならない一番困難な壁だったからだ。

 

それから20年ほどは、まっとうに昼間の仕事をしながら細々と音楽を続けた。しかし今から10年前に、このままパートタイムで音楽を続けていても結局はパートタイムな結果しか出ないのではとハタと思い立ち、会社勤めを辞めてフルタイムでブルースを演るという大きなギャンブルに出たのだ。

 

自由人となってこの10年、アメリカでサバイバルした自信は大きい。思えば何の保証も無しにアメリカに来て、一人で試行錯誤を重ねながらここまで来た。今では自分のやりたい仕事だけをやる、フリーランスのミュージシャンである。今後これまで培って来たものを日本にお返し出来ればこんな嬉しいことはない。

 

それにつけても、もし仮に時計の針を自分が日本を飛び出した1980年代に巻き戻せたとしても、僕はやっぱりまたアメリカに来る決心をするだろう。こんなに刺激と変化に満ちた人生は無かった。

 

今でも時々ふと思うのは、もし最初からシカゴに住んでいたら今はどうなっていただろうかと。音楽的にはおそらくシカゴでもっと広く深くブルースの根を生やしていたかも知れない。が、逆に今日までこの国でサバイバルできたかどうかは疑問だ。 僕には、大きく遠回りしたことによって、結局は目的地に無事に到達できたような気がしてならない。

 

本題のシリーズはこれで終わりです。ご清読ありがとうございました。

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