日米でプレーするブルースの違いについて(その5)

僕は大学は工学部出身で、それまで宗教は非科学的なものとばかり敬遠していた。が先日この題のシリーズ(その2)に書いたように、アメリカの黒人教会での礼拝とゴスペル音楽を経験して以来、僕は人々が信仰で救われる利点を少なくとも否定しなくなった。

 

それどころか、そこで非常にインスパイアされて自分もこれからブルースを歌って行こうと決めたものだ。アメリカで英語で歌うなどとはそれまで考えたことも無かったのだが。日本のブルースとの違いは、そのとき体感したこのスピリチュアリティなのだと納得したのだ。僕が礼拝に通っていたその教会のバンドは、その時はオルガン、ベースとドラムだけで、タイミング良くギターで彼らの演奏に加われたのも幸運だった。まさに自分にとって奇しくも“Right place at the right time”だった。

 

その後、僕は今住む北カリフォルニアに引っ越したが、最近また日曜日の朝に近所の教会の礼拝に出るようになった。それは、信仰心からというよりも、自分の演りたい音楽のルーツを探るために、聖書に何が書いてあるのかを理解する目的でだ。敬虔な信者には僕の動機はおそらく不純に映るかもしれないが。

 

思えば僕が30年以上も前にアメリカに移住したときは、黒人社会とはどんなものかほとんど予備知識が無かった。子供の頃からテレビで見た黒人とは、オリンピックの陸上競技かボクシングの選手、それと小学校の頃に見たプロレスのボボ・ブラジル選手ぐらいか。それにその後、音楽で聴きなじんだミュージシャン達だ。思えば長い道のりをここまで来たものだが、これからもその道はまだ続く。

(続く)

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