日米でプレーするブルースの違いについて (その3)

アメリカはその歴史上、人種差別が根強く残る国である。マイノリティーのアジア人が演るブルースを聴いてもらうのには、高い演奏力と歌唱力が求められる。

 

これは過去に実際に体験したことだが、僕がギターだけ弾いてるうちは良いが、マイクの前に立って歌い始めると、聴衆の何人かが曲の途中でスッと立ち上がり店を出て行ったことが何回かある。

 

かと思うと一方では、セットの合間の休憩時間に中年のアメリカ人女性から,「あなたの歌声は素晴らしい」と言って両手で僕の手を包み込むように握手を求められたこともある。だから、先に書いた気分の悪い経験は自分の歌唱力とはあまり関係が無いようだ。

 

その時僕はアメリカの暗い歴史を肌で感じたものだ。ある一握りの人達に取っては、「アジア人の演るブルースなんぞ聴いてられるかっ。」ということだろう。「音楽の世界には国境無し(ボーダーレス)。」というのは、確かにある一面はとらえているだろう。が、それは夢の理想であり、ブルースの世界は「ボーダーフル」である。

 

だからこそ今でも僕は、人一倍、いや十倍は練習するのだ。

(続く)

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