「今年を振り返って」 

2025年ももうすぐ幕が降りようとしている。

 

パンデミックの長いブランクの後、一昨年の秋から僕は日本ツアーを再開した。今では、春と秋に2週間ずつのライブハウス・ツアーを行なっている。

 

音楽的に見て今年の新しいトピックは、ローリング・ストーンズ・トリビュートをツアーのプログラムに加えたことだ。ストーンズの音楽は、僕にはブルースの延長線上にあり、そのブルース・フィーリングは深くて濃い。

 

さらには、オーティス・ラッシュ流の弦逆張り奏法も好調だ。今や僕のブルースライブでは左利きギターは欠かせないものとなっている。

 

その一方では、来春からダウンホームなシカゴブルース特集だけのプログラムも始める。僕がシカゴブルースにハマったのは、大阪で高校2年のときだから、もう半世紀にわたりこのジャンルの音楽をずっと深く掘り下げてきたことになる。

 

僕は1987年にアメリカに来た。以来、かれこれもう40年近くになる。その間に手に入れたものを一言で集約すると、「やりたいことをやりたいようにやれる自由」ではなかったかと思う。これがアメリカン・ドリームでなかったら、一体何がそれと言えるだろう。

 

来年もよろしくお願いいたします。

「今後の日本ツアーについて」(続) 

数年前に再開した日本ツアーは、今年も春と秋の2回、滞りなく無事に終わった。最近では関西から名古屋・東京まで2週間ずつのスケジュールだ。

 

今後の僕の音楽の方向は次の3種類が柱になる。

 

1.オーティスラッシュ、マジックサム、初期バディガイらのスクィーズ・ギター系ブルース。及び、初期R&B/サザンソウル。

 

2.ダウンホームなシカゴブルース : マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、エルモア・ジェイムズ、エディ・テイラー、ロバート・ロックウッドJrなど、およびハーモニカ・ブルース。

 

3.ストーンズ・トリビュート。ローリング・ストーンズはブルース音楽の延長線上にある。ライブの全セットをストーンズ曲でやれるバンドは日本では珍しい。

 

僕が音楽に求めるものは、緊張感のある良い演奏ができたときのナチュラルにハイな気分に尽きる。そのために日夜練習して、共演者の方々にも同じ準備を期待する。

 

僕が今、日本ツアーにだけフォーカスを置いているのは、日本での方がそういう自己啓発的なミュージシャンの方々に出会うことが多いからだ。

 

上の3種類のジャンルを1回のツアーで全てカバーするには、演奏する曲が50曲から60曲に及ぶ。その準備だけで僕は何か月も前から時間をかけている。

 

僕は常に、一定のところに立ち止まらず「苔の生えない Rolling Stone (転石)」でありたいと思う。2026年もすでに春のツアーで10本のライブが入っている。楽しみだ。

「今後の日本ツアーについて」 

僕が日本ツアーに行き始めたのは2013年なので、もうかれこれ10年を越える。最初は「地元」の京都・大阪から始めて、その後だんだんと名古屋・東京へ拡張して行った。

最近では年に2回、春と秋に2週間づつ日本に行くペースが定着した。

 

僕の音楽志向の本筋は、1960年代に当時はモダンとされたシカゴブルースだ。それは、オーティス・ラッシュ、マジックサム、そして初期のバディ・ガイに代表される、「ウェストサイド・シカゴブルース」と呼ばれた突っ込みの鋭いスクィーズ・ギター系のブルースである。

 

それを軸として、言わば振り子の両端にあるのが、一つは新企画としてこの春から始めたストーンズ・トリビュートだ。ストーンズの音楽は、僕にはブルースの延長線上にある。

 

僕は闇雲に人の尻馬に乗って、この企画を始めたのではない。この何年か僕はストーンズ曲をカバーするのに、ギターを弾きながら歌い、そしてソロも取る弾き方を模索して来た。

このベイエリアでも何度か実験を重ねて、選曲を絞ってきた。今後もこの企画を伸ばして行くつもりだ。

 

で、振り子のもう一端は、1950年代に栄えたダウンホームなシカゴブルース。ブルースハープがこれには欠かせない。ギタリストでいうと、ロバート・ロックウッドJr. と エディー・テイラーの曲筋になる。

 

僕がこの手の音楽にハマって以来、もう半世紀近い。僕は今、これまで蓄積してきたもの全てを一つに集積するフェイズに居る。

今秋の日本ツアー 

僕は今、年に2回の日本ツアーだけに焦点を置いて、アメリカではバンド活動をやっていない。それは毎回セットリストを入れ替える、僕のやり方にコミットしてくれるサポート・ミュージシャンを探すのが難しいからだ。

 

それと今僕は、これまで長年やって来たことを集積して、自分の最高のパフォーマンスとしてまとめるフェイズに居る。

 

二つ返事で仕事を受けてくれる日本のミュージシャンの方々は、ライブ前には充分な準備をして来てくれるから、ステージで相互の信頼感が生まれる。そしてそれは、無意識下に音に反映される。

 

以前は日本ツアーは、年に一回1週間のサイド・プロジェクトだった。今は日本に春と秋に二回行く2週間ずつのツアーだけで充分に忙しい。おまけに前回からストーンズ・トリビュートという新しい企画をやり始めて、ツアーの仕事量が文字通り倍増した。

 

もう既に秋のツアーのセットリストを全て日本のミュージシャンの方々に送った。これで、設計図はできた。ここからは、立体的にショーを構築していくことになる。設計図に息を吹き込んだり、肉付けをしたり。自分も含めて、一人一人のミュージシャンの腕の見せどころだ。

「Turning Point (転機) – R&D から R&B へ」 

日本から僕がアメリカに移住してもう30年を超えるから、人生の半分以上はこの国で過ごしたことになる。その間に、サバイバルするために州を越えて何度も引っ越しを繰り返した。これまで運良くずっと都市部に住めたことで、会社勤めをしながらもバンド活動を続けて来れた。

 

現在はカリフォルニア州北のベイエリアに住んでいる。今ではフリーランスのミュージシャンとして、フルタイムでブルース音楽に関わっている。日本に毎年、帰省ツアーにも行くようになって早10年を超えた。

 

昨今は、日本ツアーのブッキングやメンバーとの交信、さらにはイベントの告知まで全てインターネット上で出来てしまう便利な時代になったものだ。が、逆に労を惜しまずSNSで効率的にイベントの告知・露出をしないと、ミュージシャンが生き残るのが難しい時代になった。

 

しかしそのPCのスクリーンから、お客さんに重い腰を上げてライブ会場までお越し頂くのは至難の技である。実際、「いいね」を押してくれる人のうち、ライブ会場まで足を運んでくれるのは100人のうち1人ぐらいという話も聞いたことがある。

 

僕はパンデミックの間に世間に広まったライブ・ストリーミングをやったことが無い。それはライブはやはり演者と聴衆が一体となってこそ、一層盛り上がるからだ。ライブの臨場感や興奮を動画に捉えるのは難しい。

 

思うに自分のこれまでの変遷を振り返ると、数々の偶然が重なって一つの焦点に収束してきたように思う。それはもはや偶然ではなく、夢を叶える強い意志が呼んだ必然ではなかったか、という気が最近している。

 

ただ今の自分の音楽活動を、ありきたりに「第二の人生」と呼ぶのはどこかシックリ来ないものがある。そこには何か「第一の人生をやり直す」的なネガティブな含みがあるからだ。僕が以前に携わっていたハイテク技術開発の仕事も刺激的で、毎日が非常に充実していた。

 

「研究開発(R&D)からシカゴブルース/R&Bへ」(韻を踏んでます!)という全く無関係な分野2つに渡り、自分の人生をこれまで思い切り駆け抜けて来れたのは、ラッキーだった。今はライブの一本一本を大切にプレーすべく、静かに燃えています。

 

いよいよ来週から春の日本ツアーが始まります。

「ストーンズ特集」 

来月の日本ツアーでは、本来のブルースもののプログラムと並行し、新しい企画としてストーンズ・トリビュートを堺、神戸、岐阜の3市で行ないます。

 

これは突然ヤミクモに思い付いたのではなく、数年前にこのベイエリアで実験的にテストし始め、さらに構想を練り上げて来たものです。

 

実は僕は大阪で中学生の頃はロック少年でした。近年になって、ローリング・ストーンズをまた聴くようになったのは、デルタブルースのスライドギターで使われる変則チューニングを、キース・リチャードがそのリフに多く活用していることを知ってからでした。

 

今後も往年のブルース及びR&Bの曲筋に加え、自分がこの方向にも進んで行けるのかどうかを見極める意味で、来月のライブに期待が膨らんでいます。

 

シカゴ・ブルースとR&Bという自分が長年辿(たど)って来た本道を保ちながらも、新たな方向を模索するのは楽しい。それはまさに「転石苔(コケ)を生やさず (Rolling Stone gathers no moss)。」なので。

 

日本ツアーまもなく始まります。

「音楽の「楽」について思うこと」 

近年僕は年に2回、春と秋に2週間づつ日本ツアーに行っている。日本に行くたびにセットリストをほぼ全曲新しく入れ替えているが、こんなことを出来るのは日本でだけではないかと思う。

 

合理主義のアメリカのミュージシャンは、コストパフォーマンスを重視するから、最小限の努力で最大の実入りを期待する。毎回ショーのたびに20曲ほど新しく準備するなど、彼らには有り得ない。

 

日本にツアーに行くと共演者の方々からは、アメリカで長年活動をして来た僕から、何か刺激を得ようという好意を感じることがある。それは阿吽(あうん)の呼吸となって、無意識のうちにステージのパフォーマンスにも現れる。

 

最近になって人から、僕の演奏には音楽の「楽」が欠けていると言われたことがある。それは禁欲的と言って良いほどに、僕は最良質の演奏をバンドのメンバーにも厳しく求めるからだ。

 

僕にとって音楽を演っていて楽しいと思うのは、バンドのメンバー全員が確かな土台の上に立ち、自発的に各個人が意外性を発揮した時だ。緊張を破るその時の高揚感は、言葉で表現するのは難しい。さらに、その上に聴衆とのスピリチュアルな連帯感が生まれるとき、それはもう至福の空間となる。

 

日本ツアーを組むときは、僕はフリーランスのミュージシャンとして何から何まで全て自分で手配する。いずれいつの日か、それをするのが面倒に感じるようになったときが、いよいよ潮時なのかも知れない。その時こそ音楽を聴く側に回ってエンジョイするのも悪くない。

 

春の日本ツアーが、まもなく始まります。

 

(写真はシカゴのブルースクラブ、キングストン・マインズにて)

「この10年で」 

僕は2014年に会社勤めを辞めて以来、今もずっと自由を謳歌している。その間にフルタイムでブルースを演って来て良かったことを思いつくままにあげると:

 

0) それまで会社の仕事上の利害関係だけでつながっていた人々と縁が切れたこと。どうでもよい人との上滑りな関わりは、本当に人生の時間の無駄だと思う。今でも連絡を取り合えるのは、職場で同じ苦労をシェアした数人の友人だ。

 

1) 自己のリーダーバンドでやりたい音楽をやりたいようにやって来たこと。この10年間にベイエリアで計400本ほどフロントマンとしてライブを行なった。アメリカの聴衆を相手に得たこの経験は何物にも替え難い。

 

2) 本場シカゴのブルースシーンを3年間サバイバルした。何のコネも無く単身でシカゴに引っ越したが、当地でよく知られたChi-Town Hustlers のメンバーとして、幾つかの老舗ブルースクラブに合計で200本レギュラー出演できたことは極めて幸運だった。まさに長年の夢が叶った。

 

3) シカゴに居る間に、これまで深く傾倒して来たオーティス・ラッシュ・スタイルの「弦逆張り奏法」(写真)を身につけた。それまで何度もトライして来たが、厚い壁をなかなか破れずにあきらめていた。が、ある日急に霞が晴れたように弾けるようになったのだ。何につけても結果を出すには、ある時期にそれに没頭してモガくことが大切だと思う。

 

4) 毎年日本ツアーを行なって、日本のミュージシャンとのつながりを築いたこと。二つ返事で仕事を引き受けてくれるプレーヤーとの良好なつながりは、自分にとって貴重な財産である。そのお互いの信頼感はステージでのパフォーマンスに反映されるからだ。

 

5) さらには、いつも心良くブッキングをして下さるライブハウスや、日本に行くたびにショーを観に来て頂くファンの方々にも、感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

今はこれまで長年にわたり蓄えて来たものを集積し、自分に出来る最高のプレーを日本のブルースファンに楽しんで頂くことに喜びを見い出している。

 

もし自分の演奏が10年前より少しでも強くなっているとすると、それはアメリカのブルース・シーンを深く体験した自信が、そこはかとなく滲(にじ)み出ているのかも知れない。

 

次の日本ツアーまであとひと月です。

「謹賀新年(Happy New Year)」 

新年明けましておめでとうございます。

 

この10年ほど僕はフルタイムでブルースに没頭して来ましたが、今年は少し変化を加える年になるでしょう。4月に数か所でやる予定のストーンズ特集は、その一つです。

 

さらには日本ツアーを少し拡張し、関東方面で演奏出来る所を開拓中です。僕は大阪出身で東の方は人脈が薄いので、これからも手探りの状態が続きます。

 

ところで先日、大リーグの大谷選手が「憧れているうちは、超えられない」と言う意味の発言をしたと聞きました。それは超えた人だけが言える重みの有る言葉だと思います。

 

僕はブルースやソウル音楽を40年以上にわたり掘り下げてきましたが、それを創り上げた伝説的な黒人プレーヤー達を超えようなどとは考えたことも有りません。ブルースやソウルやジャズは、歴史的な背景から生まれた彼らの文化だからです。いわば昭和演歌が日本独自の文化であるように。

 

仮に演奏力では本物に一歩近づくことができても、歌唱に関しては彼らの太いシワがれた声などとても真似の出来るものではありません。そんな生まれついてのモノを羨んでも仕方ありませんし、それにその根底にゴスペル音楽が有るのも、日本では経験の無かった環境でした。

 

今はこれまで長年にわたり自分の中に蓄えて来たものを集積して、自分なりの最良質のパフォーマンスを日本ツアーで発揮出来れば本望です。街から街へと日本で素晴らしいミュージシャンの方々に出逢い、僕の夢の実現をサポートして頂けるのは、まさに冥利に付きます。

 

皆様、本年もよろしくお願いいたします。

 

(写真は6年前にシカゴにて。当時エンジェルスの大谷選手が、対ホワイトソックス戦にてホームランを打ったのを見れたのは幸運だった。)

「日本ツアーについて」(追記、その3) 

(前回からの続き)

これまで富や名声には縁がなかったが、アメリカに来てずっとやりたかったことをほぼやり尽くして、精神的にはリッチな人生を送って来れたのは幸運だった。

 

特に近年になって、フロントマンとして自分のリーダーバンドで行なった約四百本のライブは、誇りに思う。それは日本生まれの僕が、アメリカの聴衆を相手に英語でブルースを唄うなどとは、日本に居た頃は考えたことも無かったからだ。

 

ただ生来、同じことを繰り返すとすぐに退屈してしまう性格に付き、今また音楽的に新しい方向を模索している。僕が日本ツアーに行くときはセットリストを毎回総入れ替えするのは、ライブをリピートで観に来られたお客さんはご存じだと思う。

 

それにこの頃、日本のゲスト及びサポート・ミュージシャンの方々とも、以心伝心できる部分が増えて来た。やはり続けることが大事なのだ。さらには、来春のツアーでやる8本のライブのうち、3ヶ所で予定しているロックンロール・ショーは、新しい試みの一つだ。

 

今後も刺激と興奮を求めて、まだまだ試行錯誤が続く。