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タホ湖と Last Two Dollars


先月、カリフォルニア州とネバダ州の境いにある Lake Tahoe へ家族で小旅行へ行ったときのこと。

深夜も更け、カジノでブラックジャックをやって負けて帰って来て、ホテルでフテ寝してたら、うちのワンコも気の毒そうにすり寄ってきた。

最近、レスポールを衝動買いしたり、来年春の日本ツアーを組んだりして、資金の乏しい時にギャンブルをやると、すぐ負けるという典型的なパターン。

Johnny Taylor で知られる“Last Two Dollars” という、カジノでのシーンを唄ったブルースがあるが、悲哀のこもった良い曲だ。

ネバダ州までは家から車で5時間離れているので、そう簡単にリベンジに行けないのは、おそらく幸いだろう。
 

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クロマティック・ハープとジョージ・ハーモニカ・スミス


最近とみにブルース・ハープにハマっていて、先日、自分が毎週ホストをつとめるブルース・ジャムセッションでも、クロマティック・ハープを使い始めた。
 
曲は、Philip Walker Live at Pit Inn  (1979年 日本ライブ)に入っている、George Harmonica Smith のインスト曲風のシャッフルだったが、いきなり結構受けた。
 
クロマティック・ハープは、ダイアトニック・ハープよりサイズが大きい分だけ、息が切れる。しかし、オクターブ奏法を駆使して、メジャー・キーの曲でも暗い陰湿な雰囲気をかもし出すのにもってこいだ。
 
ところで、そのアルバムの中に Mississippi River というスローブルースがある。そこでの若き日の吾妻光良氏のギターソロの切れ味はどうだ。月並みな言い方だが、その日本人離れしたディープなブルース感覚は、メインのフィリップ・ウォーカー氏のギターを凌いでいるのでは。

 
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ブログとその閲覧数

 

最近になってブログを始めてみてわかったことは、SNSでシェアするとその閲覧数がすぐに、1000 とか 2000 を軽く超えるようだ。アップロードごとにそれを合計すると、これはすぐに膨大な数になる。

 

数に固執するわけではないが、この商売は露出してナンボだ。ただ、この数字には毎回同じ読者がかなり含まれているであろうから、その延べの数字を鵜呑みにはできないが。

 

僕は今年始め、半生記を書いた。自主製本して前回の日本ツアーに持って行ったら、自分のバンドのCDよりも需要が高かった(笑)。今書いているこのブログは、その続編シリーズにあたる。続章のテーマは、この流れで行くと、ブルースマンとしてブレーク(?)するまでの道のりという皮算用だが、果たしてどうなることやら。

 

一方、ブログは露出度を上げるのに便利な反面、逆に出版物の売り上げには貢献しにくいだろう。SNSが普及したために、録音物としてCDが売れなくなったように。

 

うちの初代ワンコとコモドアーズのNightshift

 

今日は癌で亡くなったうちの初代ワンコの三回忌にあたる。僕が2000 年にこのベイエリアに引っ越してきたときに、サンタクルーズの施設で保護されていたのを、子犬のときに貰い受けたので、13 年間一緒に暮らしたことになる。車が大好きで何処へ行くにも付いて来たし、僕がどんなに夜遅く家に帰ってきても、尻尾をちぎれんばかりに振って出迎えてくれた。彼は家族の一員であった。

 

検診を定期的にしていたのにも関わらず、その異変に気付いたときはもう手遅れだった。獣医は、安楽死を薦めたが、僕はそのとき自分達の決断で家族の命を終わらせることがどうしてもできなかった。もしかしたら2, 3ヶ月は延命できるかもしれないという可能性に賭けて、内臓の患部摘出の大手術をした。

その直後は、いったん回復に向かったかに見えたが、結局その二週間後に小さな命は失われた。亡くなる二日前に、家の裏庭に出してやったら、そこで立っておれずにへたり込んでしまった。カミさんの話では、そのときワンコの流した涙はサラサラだったらしい。さぞ苦しかったことだろう。ごめんな、もっと早く病気に気付いてやれなくて。

 

先日、その後にまた同じ施設から貰い受けた2代目ワンコと一緒に、家族でLake Tahoe に初めての長距離ドライブに出かけたのだが、この旅行には、車が大好きだった初代ワンコを弔ってやる目的もあった。ある朝、僕がまだ眠っている間に、カミさんが2代目ワンコを連れて湖畔に散歩に行った時のことだ。全く風も無いのに、近くの白樺林がササッと揺れたという。初代ワンコの魂が我々に会いに来てくれたのだと思って、“ありがとう”と家内は返事をした。おそらく、ペットを飼った経験の無い方が聞くと、まるで ”お犬様”の世界と思われるかもしれないが。

 

ところで、僕は初代ワンコの闘病中にちょうど、コモドアーズのNightshift と言う曲をよく演奏していた。この曲は、今は亡きソウルの大御所、マービン・ゲイとジャッキー・ウィルソンに捧げられた、すごくスピリチュアルな曲だ。この曲の中で、“I know you found a home, I know you’re not alone…

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バンド活動は民主主義的ではない(その2)

 

(続き)
 

僕は、バンドのメンバーからの建設的な意見には耳を傾ける。しかし、自分のやるべきことをやらずにブーたれたり、給料を出しているこちらに不遜な態度をとるプレーヤーを断固として受け入れなかった。

 

特にそれが一度ならず、二度続くとそれはもう警鐘でしかない。そこで、妥協してあたかも民主主義の真似事をしていると、バンド全体の士気が下がり、結局は自分がだめになるのだ。それに、ごくまれにだが、カネに汚いマネをする奴もいるからこれも要注意だ。

 

その一方、自分にも厳しくする覚悟がないと、まわりはこちらの言うことを聞かなくなる。最近は、自分の音楽のクォリティーを上げることに毎日余念が無くなった。しかしその当たり前のことは、生計を立てていく悲愴感からではなく、自分の夢に陶酔できるほどのワクワク感があるからこそ続けられるのだ。

 

目指すのは、客席がまだ冷めている1曲目から、ハイギアーの熱い演奏をやれるプロ集団だ。しかもこのアメリカで、言語や人種のバリヤーを乗り越えて、聴衆の心をつかむことができたら、こんな痛快なことは無いではないか。

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バンド活動は民主主義的ではない(その1)

 

数年前に僕はバンドリーダーとして音楽活動をやっていく決意をし、ギャラを貰う立場から、払う方に移行した。その途端にこのプレッシャーの跳ね上がり方はどうだ。

 

バンマスは、企画・交渉・宣伝・人事・物流・営業・経理・ネットワーキング・業務連絡・ロジスティック(交通の便・ホテルの予約、ときにはアンプやPAの手配まで)など全てを背負い込み、肝心の音楽以外のことに時間が取られることが圧倒的に多い。まさに零細企業の個人事業主然としたところがある。

 

個人主義の強いアメリカで、ミュージシャンという業種のアーチスト達はなおさら“食わねど高楊枝”とプライドが高い。それをひとつのチームにまとめて仕事をし、バンドのメンバーには、次回もまた機嫌よく時間通りに現場に来てもらわなければならない。

 

彼らは他人から指図されることを嫌がる。が、思えば指図される方は、人から何をどうすればいいかを逐一世話してもらって、いくばくかの報酬がそれに付いて来るのだから、こんな楽なことは無い。

(続く)

 

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SNS について(その2)


(続き)
ネットワークの拡張は、日々ひとりひとりの繋がりの積み重ねだ。自分の投稿や、自分がタグされた投稿に“いいね“ があると、それをきっかけに僕は面識の無い人にでもその方々に友達申請を送ることがある。するとわざわざ ”どこかでお会いしましたっけ?“ というメッセージが来たりする。

不特定多数の人々を対象とすることに付随したリスクは、別に日本だけには限られていない。それが不安なら、SNSなどやらずに、電子メールのグループ・リストでも作って、知り合い同志だけで交信するほうが無難だろう。

 

僕の投稿には、自分のやっているブルース音楽に関するものが多い。日本には、一つのジャンルを深く聞き込んだ評論家顔負けの人が多いので、たまに、知識のひけらかしや、上から目線の “かくありき” といったコメントが来ることがあるが、ウザッたいだけだ。

それに、日本でライブをやると、たまにその動画を無許可でアップしてくる人がいる。特に、ソーシャル・メディア の上でそれを長期に放置されるのは、はなはだ迷惑である。

 

SNSの浸透が音楽のビジネス・モデルを大きく変えたとよく言われる。例えば、CDなどの録音物が売れにくくなった一方、僕のように海外に居ながらにして日本ツアーを企画したりできる。また、SNSで広告を見て、遠方からもファンがライブ会場に足を運んでくださるのは、ありがたいことだ。

ただ、最近 “Hi Honey” で切り出す、年齢性別および差出人不詳のメールがよく届くのには閉口しているが。

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SNS について(その1)


個人で活動するインディー(インディペンダント)・ミュージシャンにとって、SNS は、マーケティング用に今や必要不可欠だ。

 

日本語で投稿するとき、たいていこちらの米西海岸の昼過ぎの時間が多い。それは日本時間で、朝の5時か6時過ぎになる。
“いいね” を押してくださる方々の数は、皆さんが早朝だんだん起き始めて、それが、最初のピークにくるのが日本時間の午前8時から9時前後。おそらく平日の通勤電車の中で、スマホをチェックされているのだと思う。また、宵っ張りの人もいたりして。人々の生活習慣までがそこに反映される SNS は興味深い。

 

他にも日本語で投稿していて気付いたことが幾つかある。

 

読者からときどき、”シェアさせていただきます“というメッセージがくる。これは一見、奥ゆかしい礼儀のようにみえるが、それは別にこちらの承諾を待っているわけでもなく(第一、元々こちらがどこかからシェアしてきたものにはそんな必要も無い)、それは単なる一方的な事後報告に過ぎない。

(続く)

 

 

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日本ツアーで受けたスタンディング・オベーション


この数年の間に自分のブルースバンドを率いて日本ツアーを何回か行ったが、これまでは、ツアーの費用の赤字をせいぜい最小限に抑えるだけの、バンドのプロモーションが目的であった。

 

が、前回のツアーでは満員御礼が2回あり、しかもそのうち1回名古屋では、アンコール後にスタンディング・オベーションを受けた。そのときは外国人のお客さんが多かったこともあるだろうが、自分の経験では、日本のライブハウスのブルース・ショーでスタンディング・オベーションなど見たことも聞いたこともない(ビッグネームの外タレで、最初から立見席の場合を除いては)。

 

このときは、ベースが京都の山田晴三氏で、ドラムがアメリカから同行したトビア・ブラッドレー嬢という、パワフルなリズム・セクションだった。名古屋に行くのは初めてで、演奏するほうも、観るほうも先入観が何も無かった。

 

最後の曲を演奏し終えて、ギターのコードを抜こうと僕がステージ後ろのアンプに近づいたときだった。ドラムのトビアがこちらに向かって、客席の方を見てみろと目配せしていたので、振り向いたら、お客さんが総立ちでこちらに熱い拍手を送っていたのだ。

 

また、たわけたことをたいそうに吹聴していると言われそうだが、これは自分にとっては幾つかの意味合いがある:

 

(1)ひとつには、これは自分のリーダー・バンドであり、有名人のサイドマンとして参加したショーではなかったということだ。

 

(2)さらに、アンコールに僕はスロー・バラードを選んだ。自分の編曲でメドレーにしたものだが、歌をじっくり聴かせる構成だ。お客さんがノッているところに、テンポの遅い曲で勝負するのは、賭けであった。

 

アメリカに移住して長年細々とこれまでやってきた音楽が、この瞬間に日本でも受け入れられた気がした。この調子で、今後も弾みがついていくことを願っているが、日本のブルース・マーケットは、概して強い向かい風が吹いている。

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マディ・ウォーターズの “19 Years Old”

友人のカリフォルニアのブルースマン、JC スミスとこの夏シカゴに遊びに行った時のことだ。彼の人脈は恐るべしで、シカゴの主要なブルースマンは皆彼の友達なのではと思えるほどだった。
 
JCは元マディ・ウォーターズのドラマーのウィリー・スミスと親戚にあたり、滞在中にシカゴのソウル・フード・レストランにて、JC スミスと故ウィリー・スミス氏の奥さんとの昼食に同席した。
 
マディの古い曲に “19 Years Old”  という有名な曲があるが、マディが彼女のことを歌ったものらしい。僕は、この歌は若くみずみずしい魅力的な女性のことを歌っていて、日本語で言うとさしあたり “娘十八、番茶も出花” に相当するものと、長い間思い込んでいた。歌われたそのご本人に会えたことは感慨深かった。
 
しかし、ここに書く前に、念のため語源を調べてみると、“番茶も出花” と言うのは少し意味合いが違った。

JC Smith is a cousin of the late great Willie “Big Eye” Smith, former drummer for Muddy Waters. While I was in Chicago this Summer, I had…
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黒人ブルースの衰退

僕は大抵のことには楽観的で前向きなポジティブ思考だ。しかし、自分がこれまで深く傾倒してきた黒人ブルース音楽の将来に関しては、残念ながら非常に悲観的である。

 

アメリカでは、若い年齢層の黒人がもはや、その伝統を継承しなくなってしまった。昔のスタイルでそれらしくブルースを演奏しようとするのは、今や黒人以外の人種か外国人(日本人も含めて)が多い。

 

今年の6月に20年以上ぶりにシカゴに遊びに行ったとき、50歳から60歳代の中堅の黒人ブルースマンが、シカゴのライブ・ブルースシーンを引っ張っているのを見て、頼もしく感じた。だが、その次に続く世代はどうかというと、ラップやヒップホップが黒人音楽の主流となった今、はなはだ疑問だ。

 

あと30-40年もすれば、もはや黒人ブルースの歴史は終わってしまうのかもしれないが、そのころには自分もこの世には居てないはずなんで、心配しても仕方ないが。自分の予言が外れることを願う。

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来春の日本ツアー2016

来年4月に予定している日本ツアーは全6ヶ所をすべてギター・ベース・ドラムの最小編成のトリオでやる。

 

それは今回は経費削減が主な理由だが、これまでのツアーはほとんど赤字の自転車操業だったから、このあたりでそろそろビジネスとして成り立つ方向を見出さないと、今後もツアーを続けるのは難しくなる。

 

日米を問わずに、サポート・メンバーやゲストを選ぶとき、その人の技術レベルや名声はもちろん大事である。しかし、基本的には、お互いに仕事をしたいと思っている相手なのかどうかが、まず判断基準となる。所詮、今の自分の知名度では、たいしたギャラを出せるわけもないから、せめて演奏をしているときぐらいは、良い刺激を受け合いたいものだ。

 

その意味で、幾ら貰えるのかを聞く前に仕事を引き受けてくれるミュージシャン(意外だがいる)とはうまくいくことが多い。彼らは、普段と違うメンバーと演奏することに刺激を求めているし、わざわざライブを観に来てくださるファンのために、結果を出すことに焦点が定まっている。だからこそ、“また今度も是非”という良好な関係が築けるのだ。