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新ネタをマスターするまで

 

バンドとして新しいネタ(曲)が身に付くまで、数回は演奏する必要がある。すぐにノリがハマル曲もあれば、しだいにまとまってくるのもある。 

  

毎週一晩、ホストをつとめているブルース・ジャムセッションでは、いつもリハーサル無しでぶっつけ本番だ。ハウスバンドのメンバーとの決め事は、全てE-メールでやりとりしているので、僕はそれを"バーチュアル・リハーサル(virtual rehearsal)”と呼んでいる。 

  

ジャム・セッションだからといって、ステージでいきなり曲を即興で作っていくわけではない。お客さんのいる前で、リハーサル無しにいきなり新ネタを演れるかどうかは、メンバー個々の力量と、それぞれの個人練習の量によるところが多い。そもそも、自分がまず見本を示さないと、他のメンバーがついて来ない。 

  

毎週決まった曜日にライブをやることは利点が多い。まず、聴衆の反応が、自分たちの演奏力を引き上げる一番の良薬になるし、自分達の演奏を目当てに来てもらえるファンができやすい。それにブッキングの手間と時間が省けるのが、何よりもありがたい。 


僕は、フロントマンとして自分のバンドを持つようになって、歌唱力が飛躍的に伸びたと思う。特に、黒人の常連客の多い聴衆を相手に、毎週ブルースを歌うのは、かけがえの無い経験だ。
 

一方、日本にツアーに行ったときは、日本からのサポート・メンバーとは、その場かぎりの演奏になる。当日の短いリハーサルだけで、本番でグルーヴをきっちり出してくれる、現地のミュージシャンの方々には、本当に助けられる思いだ。今後も日本での活動を平行して続けるが、概して、日本のブルース・ライブ市場は、アメリカよりもいっそう強い向かい風だ。
 

ブルース・ハープ (5)


最近になって幾つかの情報源から知ったのだが、クロマティック・ハーモニカの中には、“Koch Chromatic” と呼ばれる種類がある。アメリカ人は“コッチ”と呼んでいるが、販売元のドイツ語発音では“コッホ”となる。

10穴から成り、スケールはダイアトニック・ハープと同じだが、スライディング・バーが付いていて、それを押し込めば半音上げることができる。ベンドもできるから、まさに両者のハイブリッドだ。あのリトル・ウォルターは、曲によって、この種のクロマテッィク・ハープも使っていたらしい。 
 

僕は今、ブルース・ハープ熱がますます高じて、地元サンタ・クルーズのジャズ・プレーヤーたちと、シカゴ・ブルースバンドを作ろうとしている。自分の、ギタリストとしてのバンド活動とは別に、ここではハーモニカと歌を専門に担当する。音的には、1950 年代から 60年代あたりのハーモニカ・ブルースの感じを狙っている。が、このタイプの音楽をやるミュージシャンを集めるのは、マーケットが限られているからなかなか難しい。これまでのところ、アップライト・ベーシストと話が進行している。


 

 

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オーティス・クレイの音楽


日本で学生時代に、コテコテのシカゴ・ブルースにはまり、3 コード/12 小節のブルースしか聴いていない時期が数年続いた。そんな中で、初めてソウル音楽というものに、目を見開かせてくれたのが、オーティス・クレイだった。京都の磔磔で、そのライブを初めて観たのが懐かしい。 


その後しばらくして僕は、ミネアポリスに住んでいる間に、隣町のセント・ポール市にあったブルースバーに、シカゴからツアーに来るバンドをよく観に行った。オーティス・クレイもそこで何度か観た。いつも聴衆を鼓舞する、熱いステージだった。ギター、ベース、ドラムス、キーボードに、ホーン・セクションと女性バック・コーラスを加えた、大編成のバンドメンバーが全て黒人というのは、壮観だった。 


最初の数曲は、彼のバックのバンドだけがインスト曲を演奏する。ある日、地元の白人のトランペット・プレーヤーが、始め飛び入りで演奏に加わっていた。そのまま続けるのかどうか興味深々だったが、いざオーティスがステージに上がる段になると、そのトランペッターは、バンドのメンバーから何か耳打ちされてステージを降りた。これは全く僕の推量だが、音へのこだわりの他にも、プレーヤーたちの民族の誇りがそこにあったのではないかと思う。 


それから20年以上経って、最後に彼のステージを観たのが、数年前に、サンフランシスコの有名なジャズクラブ、Yoshi’s  でのライブだった。意外なことに、その日は少し空席があった。日本での圧倒的な人気からすると、それは僕には目を疑う光景だった。彼のパフォーマンスは、相変わらず素晴らしかった。 


訃報を聞いたとき、僕は自分の部屋を閉め切って、氏のライブ・イン・ジャパンのアルバムを大音量でかけて偲んだ。今週の我々のライブは、その中から、”Is It Over” を一曲目に演奏して、偉大なるオーティス・クレイ氏を追悼したい。

 

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ブルース・ハーピストとしてデビュー

先日、僕は遂にブルース・ハーピストとしてライブ・デビューした。普段は、自身のギターに加えて、ベースとドラムのトリオ編成だが、ギターを一人足して、自分はハーモニカと歌に専念した。この試みは、年末のその日、満員のお客さんに予想以上に受けたので、イベントとしては成功だった。今後は、ギターとハーモニカの二刀流で行くことにする。 
 

しかし自分の演奏の出来としては、10段階のせいぜい5か6ぐらいのレベルの満足度だった。ハープをベンドした後の音程がまだ不安定なところがあったし、フレーズの詰めも甘い。トング・ブロッキングにもまだまだムラがある。それと残りの課題は、音にアクセントをつけるトング・スラッピングという舌技と、ジュニア・ウェルズがハープを吹きながら時々入れる「ンバーッ」という呻き声をマスターすること。 
 

引き出しが10しかないところで、本番で10を出し切るのは無理だ。もっと奥行きと幅を身に付けて初めて、ようやく余裕が出るのだろう。が、よく考えてみると、本業のギターでも、自分で納得のできる演奏など、一生の内にいったい何回あるだろう。 
 

一般に、自分のパフォーマンスを、客観的に評価するのは難しい。どうしても、自分には甘くなるし、すぐに言い訳をしてしまう。僕は、自分のバンドの演奏をよくビデオに録画する。自己満足のためにではなく、いわば、スポーツ選手がそのフォームを研究するのに似ている。演奏した直後にもそれを見るし、暫く経って忘れた頃にもまた見る。この「忘れた頃に」というのが、ときに重要だ。自分をプレーヤーの立場から出来るだけ遠くに切り離して、視点を聴衆の立場に置くためだ。
 

僕は、長い年月をかけてギターでは乗り越えてきた(つもりの)壁を、今またハーモニカで越えようとしている。ブルース音楽のその奥深くに足を踏み込もうとすると、道は果てしない。

 

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ブルース音楽は万国共通か


アメリカの黒人ブルースバーで、アジア人が昔のスタイルでブルースを弾き語っているのは、初めて観る人には、やはり物珍しく映るらしい。 
  
先日も、ステージでブルース・ハープを吹いていたら、セットの合間に聴衆の一人から、いったい何処でブルースを習ったのかと、これまでにも人からよく聞かれる質問が来た。 
  
少し前までは、日本でも1970年代にブルースブームが起こり、シカゴから大物プレーヤーが数多く来日したことや、自分も高校生の頃からオーティス・ラッシュやT-ボーン・ウォーカーなどのLPを買い始めたなどと、わりと詳しく説明していた。 
  
が、アメリカ人の多くはクリスチャンの文化に根ざしているから、このごろは手短かに、「Calling  (天からの声)」と言うとピンと来るらしく、彼らは納得している。「雷に頭を打たれたのだ(Lightning struck my head.)」でも話が何となく通るみたいだ。 
  
しかし、自分が外国人であることが、彼らの意識にのぼっている間は、自分の音楽はまだ伸び代(のびしろ)があるということか。 

 

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2016年 新年にあたり


多くの方々から新年のメッセージをいただき、どうもありがとうございます。 
  
いつものことながら、アメリカでは正月気分というものがない。この時期は、いつも日本の1月の三が日の情緒を懐かしく思う。 
  
今年は、内なる野望はさておき、目の前にある目標は次の三つ。例によって、こうして書くことで自分にプレッシャーをかけている。 
 

1)  毎週レギュラーで任されているブルース・ジャム・ライブもこの夏で4年目に入る。まずは無事に3周年を迎えること。ブルース市場が向かい風の昨今、のべ150回を超えるライブは、それだけでも実績と言える。この近辺でも、ハウスバンドの弱い店では、ジャム・セッションのイベントは自然淘汰されている。 
  
2)  ブルース・ハープの力量を、レコーディングできるレベルまで向上する。今後のバンドの音楽志向は、ギター・ブルースとハーモニカ・ブルース、それにR&B 、と3つの方向に定まった。これらを全てこなすバンドは、ベイエリア広しといえ、まだお目にかかったことが無い。ユニークさは、すなわちセールス・ポイントだ。 
  
3)  去年から引き続き、さらに体重減量(あと5キロ)をめざす。ライブやツアーを続けるには、健康第一。走り込みと腹筋、ベンチプレスを日課に。

  
僕は、だいたい決めたことは、実行するほうなので、高い達成度をめざしたい。 
  
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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アメリカのダイナミズム

 

アメリカに住んで長い年月が経過した。勢いで日本を飛び出した1980年代と比べると、アメリカの内外を取り巻く環境は随分と変わった。しかし、未だに自分がこの国に惹かれるのは何なのか。 

  

僕はこれまで、生計を立てるために嫌なことを我慢してやることを避けてきた。それは、家系が金持ちだったとかいうのではなく、自分で没頭できることをやって、幸い収入が付随してきただけだ。 

  

契約社会のアメリカは、出来高によるボーナスなども含めると、一見すると会社の給与体系が日本の企業より良いが、その代わり安定性に欠ける。勤める方も雇用者に対して忠誠心が薄い。 

  

僕は会社勤めをしている間、その組織の中で自分のやりたい仕事をやりたいようにやれる環境を求めて、転職を重ねた。それは結果として、プロのスポーツ選手ほどではないにしろ、自分を高く売れるときに売って、稼げる時に出来るだけ多く稼ぐことにつながった。好きなブルース音楽をさらに掘り下げたいと思い、二足のワラジを脱いだのが数年前だ。 

  

今さらだが、日本の社会では、本道から外れることは敬遠される。変わり者は、すなわち偏屈といったネガティブなイメージに取られる。多人種が混ざり合い、人と違っていることが当然と受け入れられるアメリカ社会とは、根本的に社会規範が違う。誰もが通って、踏み慣らした道からは、何も新しいことは出てこない。 

  

些細なことだが、先日は、こんなことがあった。今、毎週レギュラーでやっているブルース・ライブをたまに観に来る、中年の白人男性がある日、親孝行をと言って、彼の80歳過ぎのお母さんを連れて来てくれた。僕のブルースを聴きにだ。ほかにも、お客さんが誕生日のパーティをするために、我々のライブに来てくれるときがある。 

  

このように彼らにとっての特別な時間を、自分と共有してくれるとき、僕はアメリカの懐(ふところ)の深さを感じずにはいられない。僕がアメリカに惹かれるのは、片腹痛しと思われるような夢を見ていても、いつかそれが実現するのではないかと思わせる何かが、その社会の根底にあるからだ。
 

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SNS上でイベントの招待に対するレスポンス


毎週のライブのイベント招待をSNSを通じて出すと、たいていの人はスルーするだけだが、1割弱ぐらいの人がレスポンスしてくれる。 

日本ツアーでやるライブで、日本のお客さんが ”行く“ と返事すると、実際にイベントに来て貰える可能性がある。しかし、この地元ベイエリアでのライブでアメリカ人が ”行く“ と言っても、その日の気分と都合ですぐその人の予定が変わるから、実質上はほとんど意味が無い。 

だから、“行くかも知れない(might go)”という返事を受けると、気休めにすらならないばかりか、むしろ何もレスポンスが無いほうが、こちらも同情を買っているような気づかいをしなくてすむ。 

不思議なことに、“行かない (decline)”という返事は、日米に関わらず、まだ見たことが無い。それを見た一般の人が受けるであろう、ネガティブな印象を避けることを考慮した、ミュージシャンへの情けなのか。おそらく、そもそもそのイベントに興味の無い人は、行かないという返事をすることすら、時間の無駄ということだろう。 

いずれにせよ、ほんの少しでも、受け手の意識にのぼることを祈って、今日も今日とて、SNSを通じてイベントの招待を出す。インディー・ミュージシャンとしては、自分で自分のバンドの宣伝をやらなければ、誰も自分のためには動いてくれないのだ。
 

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ブログを書くにあたり


2015年の始めに、自分の半生を回顧録としてまとめて、一冊の本にした。それを印刷して前回の日本ツアーに持って行ったら、バンドの最新CDよりも需要が高かった(笑)。このブログは、その続章を進行形で書く目的で数ヶ月前に始めた。 
 

僕は中学・高校から大学ぐらいまで文章を書くのが嫌いだった。子供の頃から、家には文学書がたくさんあったが、それに反発して、日本の文学小説などあまり読んだことが無かった。比較的最近になって唯一ハマったのは、松本清張の推理小説だった。アメリカの日本書店で手に入るものは、全て読み通した。清張の文章は簡潔で強い。 
 

アメリカに来てしばらくして、PCが安く世の中に出回り始めた頃、日本語ワープロ・ソフトの使い方すら知らなかった。しかし、そのうち必要に迫られて、英語で文章を毎日書くようになって、かえって日本語の書き方が向上したと思う。それは、読者に読み間違われずに、平易にこちらの言いたいポイントを突く習慣が、英語から身に付いたからだ。 
 

プロの作家のように、強く美しい文章を書くのは難しいが、僕は少なくとも読みやすいように、端的に書くことを心がけている。ときには、下書きしたものをしばらく寝かせておいて、忘れた頃に読み返して文章の流れを整えている。 
 

誰もが忙しくしているこの世の中で、自分の書いたものが読者の目に留まるには、読む側の立場に立った気配りが必要だ。それと、よく言われるように、”呑んだら書くな、書くなら呑むな (Don’t Drink and Write.)“ は、事故を防ぐ安全ルールだろう。衝動書きには、ロクなことが無い。
 

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アメリカの景気とバンド活動

知り合いのミュージシャンの中にも、副業持ちが多いことを前に書いた。 

バーやレストランのライブで稼げるお金など、たかが知れている。いくら数多く小さいライブをやっても、そのギャラだけでは、この居住費の高いベイエリアで生活していくのは難しい。 

僕は今、なけなしの資金を元手に昼間は株の売買をして、多少なりとも家計の足しにしている。この夏、中国のバブル経済崩壊やらで、アメリカの株式市場が突然落ち込んだときは、泡を食った。持ち株は塩漬け状態になり、身動きが取れなくなる。それから数ヶ月経った今、アメリカの株式がまた回復基調にあると思いきや、今度は原油価格の下落は、景気の減速が反映されているという。 

そんな調子で、数年前にこの生活スタイルを始めてからも、決して優雅に安穏と暮らしているわけではない。が、なにより楽器に触れる時間が増えた。音楽をやるための時間を買った感がある。その成果は、自分のパフォーマンスに現れているはずだし、聴衆にもそれは伝わっていることだろう。 

当面の目標は、2013年以来ハウスバンドを任せて貰っている、サンホゼのブルース・バーを、オーナーのサポートが続いている間に、この界隈でトップレベルのブルース・バーに引き上げることだ。 

この道は山あり谷ありだが、自分の好きなことをやってるうちは、まずは大抵のことにはがまんができるというものだ。

アメリカの医療費は高い

 

先日、この歳になって初めて外科手術を受けた。と言っても、一日で退院できる軽いものだったが、回復に向かうまで4,5日ほど家で安静にしていた。最近、長年の無理と不摂生から、少しずつ体にガタが来始めているような気がしていた。

 

日本でも手術の経験が全く無かったので、少し不安だったが。あたかも、アメリカン・フットボールのオフェンスとディフェンスのように、執刀医や麻酔医や複数の看護婦のチームが、入れ替わり立ち替わり現われ、全身麻酔で眠らされて目が覚めたら、手術は終わっていた。

 

それにしても、アメリカの医療費は高い。健康保険に入っていたから良かったものの、保険無しでは、費用の桁が文字通り跳ね上がるから、おちおち危なくて生きてられない。

 

この近辺でしばしば、ブルース・ミュージシャンのための医療費募金のコンサートが、その友人たちによって催されるのを見かける。おそらく焼け石に水ではないだろうか。

 

健康は、失ったときに初めてその大切さを実感する。

これからも、これまで以上に人生をエンジョイして行きたいものだ。来月からまた走り込もう。

 

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カリフォルニア州でのマス・シューティング

 

先週は、平和なサンクスギビングの週末を過ごしたが、テロによる不穏な空気が、対岸の火事と思えないところまで来ていることを、このブログに書いたばかりだ。

 

そのまさに数日後に、ここから500kmほど離れたカリフォルニア州サン・バーナディノで、銃乱射により14人の市民が射殺され、多くの負傷者が出た。年末のこのホリデー・シーズンには、特に痛ましい事件だ。

 

報道によると、過激テロ事件として捜査が進んでいるらしい。

日本のような銃規制が無いアメリカで、ランダムに起こるこのような殺戮から身を守る方法はあるのか。ここへ来て、そんな心配をすることになるとは。