アメリカの大学

 

当初アメリカに入国したとき、僕は留学生ビザで来た。それが一番手っ取り早く、アメリカに渡る手段だった。 

  

大学院の学生として授業に出るかたわら、学部生の化学実験の指導を手伝うことで、大学から給料を貰い、授業料免除の恩恵を受けた。それは、特殊な待遇でも何でもなく、留学生も含めて理工系の大学院生の大多数が、それにあやかっている。日本には無いシステムだった。

  

大学院一年生の間は、Teaching Assistant(助手)と呼ばれ、教授が講義をやる一方で、学生約十人ごとのグループの実習を、実質上全て任される。実験の前に黒板でその日の実験の概要を説明したり、小試験を作って採点したりする。 

  

大学院2年目からは、Research Assistant (研究助手)と役割が変わり、自分が選んだ研究室の教授から論文指導を受けながら、教授の研究の助手をする。給料は、教授の研究費から支払われ、授業料免除はそのまま続く。大学には一銭も払わずに、ギリギリの生活費を大学で稼ぎながら、自分の学位を修了できたわけだ。 

  

ところで、助手をやっている間の経験では、アメリカの学部生には、どう見ても自分よりもかなり年配の生徒が、性別には関係なくクラスに何人かいた。彼らは、いったん社会に出て、業種を変えるつもりか、あるいはさらなるキャリア・アップをめざして、授業を取り直しているのだ。だからといって、回りが特別扱いするでもなく、本人もそんなことは期待していない。 

  

特に州立大学の門戸は、社会に広く開かれているという印象を受けた。つまり、努力次第で、キャリアのやり直しができる社会といえる。彼らは、目的がはっきりしているから、点取り虫と化して真剣に授業を受けていた。 

  

一方、出来の悪い学生ほど、外国人の助手の英語にクレームを付けてくる傾向があった。優秀な学生は、そんなことは超越して、外国の異文化に直接触れることを、むしろエンジョイしてるかのように見えた。 

  

こんなわけで、それから長い時間を経て、僕が今音楽をやっていられるのも、アメリカの大学のシステムを多いに利用して、この国に長期で住むようになったのが発端であった。

 

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