アメリカのダイナミズム

 

アメリカに住んで長い年月が経過した。勢いで日本を飛び出した1980年代と比べると、アメリカの内外を取り巻く環境は随分と変わった。しかし、未だに自分がこの国に惹かれるのは何なのか。 

  

僕はこれまで、生計を立てるために嫌なことを我慢してやることを避けてきた。それは、家系が金持ちだったとかいうのではなく、自分で没頭できることをやって、幸い収入が付随してきただけだ。 

  

契約社会のアメリカは、出来高によるボーナスなども含めると、一見すると会社の給与体系が日本の企業より良いが、その代わり安定性に欠ける。勤める方も雇用者に対して忠誠心が薄い。 

  

僕は会社勤めをしている間、その組織の中で自分のやりたい仕事をやりたいようにやれる環境を求めて、転職を重ねた。それは結果として、プロのスポーツ選手ほどではないにしろ、自分を高く売れるときに売って、稼げる時に出来るだけ多く稼ぐことにつながった。好きなブルース音楽をさらに掘り下げたいと思い、二足のワラジを脱いだのが数年前だ。 

  

今さらだが、日本の社会では、本道から外れることは敬遠される。変わり者は、すなわち偏屈といったネガティブなイメージに取られる。多人種が混ざり合い、人と違っていることが当然と受け入れられるアメリカ社会とは、根本的に社会規範が違う。誰もが通って、踏み慣らした道からは、何も新しいことは出てこない。 

  

些細なことだが、先日は、こんなことがあった。今、毎週レギュラーでやっているブルース・ライブをたまに観に来る、中年の白人男性がある日、親孝行をと言って、彼の80歳過ぎのお母さんを連れて来てくれた。僕のブルースを聴きにだ。ほかにも、お客さんが誕生日のパーティをするために、我々のライブに来てくれるときがある。 

  

このように彼らにとっての特別な時間を、自分と共有してくれるとき、僕はアメリカの懐(ふところ)の深さを感じずにはいられない。僕がアメリカに惹かれるのは、片腹痛しと思われるような夢を見ていても、いつかそれが実現するのではないかと思わせる何かが、その社会の根底にあるからだ。
 

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