バンド活動は民主主義的ではない(その2)

 

(続き)
 

僕は、バンドのメンバーからの建設的な意見には耳を傾ける。しかし、自分のやるべきことをやらずにブーたれたり、給料を出しているこちらに不遜な態度をとるプレーヤーを断固として受け入れなかった。

 

特にそれが一度ならず、二度続くとそれはもう警鐘でしかない。そこで、妥協してあたかも民主主義の真似事をしていると、バンド全体の士気が下がり、結局は自分がだめになるのだ。それに、ごくまれにだが、カネに汚いマネをする奴もいるからこれも要注意だ。

 

その一方、自分にも厳しくする覚悟がないと、まわりはこちらの言うことを聞かなくなる。最近は、自分の音楽のクォリティーを上げることに毎日余念が無くなった。しかしその当たり前のことは、生計を立てていく悲愴感からではなく、自分の夢に陶酔できるほどのワクワク感があるからこそ続けられるのだ。

 

目指すのは、客席がまだ冷めている1曲目から、ハイギアーの熱い演奏をやれるプロ集団だ。しかもこのアメリカで、言語や人種のバリヤーを乗り越えて、聴衆の心をつかむことができたら、こんな痛快なことは無いではないか。

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